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Story 06 石川達也 さん【酒場編】
日本酒造杜氏組合連合会会長 / 広島杜氏組合長

石川達也さん 対談写真

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杜氏・石川達也さんからたっぷりお話を聞いた後、場所を賀茂鶴の日本酒ダイニング佛蘭西屋に移して、中須賀杜氏が醸したばかりの生酛を皆で試飲することにした。この日、達也さんに飲んでいただくために税務署に申請したお酒。まだ販売もしていないので裏ラベルだけで胴ラベルもない。冷やと燗酒を用意し、まずは冷やから利いていただいた。

石川達也さん 対談写真

石川 「これはいつ搾ったやつだったっけ?」

中須賀 「7月頭くらいです」

石川 「それからずっと常温?」

中須賀 「瓶貯蔵で冷蔵していました」

石川 「香りがもう少し広がるかなと思ったんだけど、まだひらききってないかな。
もう少し寝かせた方が良いね。強い酒なので、常温でほったらかしも面白い
と思う。半年から1年くらい経った時にどうなるか見てみたいね」

達也さんの感想に、中須賀杜氏がうんうんと頷く。
そして続いて運ばれてきた燗酒を達也さんの盃に注ぎ、それを達也さんがゴクリと飲む。

「うん、ちょっと変わってきたかな。絶対、お燗の方がいい」

そう言ってしばらく考えた後、達也さんは確信したように「これ、極熱にしてもらっていいですか?」と、店のスタッフに声をかけた。
なるほど、もう一段階温度をあげて、どれくらい“ひらくか”を見るという。これは面白い。

まもなく、極熱の燗酒が運ばれてきた。
中須賀杜氏がすかさず達也さんの盃に酒を注ぐ。
一口、口に含むなり「いいですね。さっきより格段にいい!」そう言って、また一口、
うまそうに飲んだ。

石川達也さん 対談写真

私もいただいてみる。うん、これは
うまい。
「絶対、こっちがいい。全然違うね」
「奥行きが出たね」
達也さんとそういい合いながら、
盃を交わす。

石川達也さん 対談写真

そんな私たちの様子を見て、中須賀杜氏もほっとしたように盃を口にした。
「もっと熟成させて、冷やでもこのくらいの味にしたいです」
「そうだね」と私も頷いた。

こんなに幅広い温度帯で味の変化を愉しめるなんて、やっぱり日本酒はすごい。
そんなことを思いながら飲んでいると、達也さんが話し始めた。

石川達也さん 対談写真

「お燗にするとお酒の味がかわりますよね。でも、それはお酒自体がすごく変わるっていうよりも、圧倒的に人間の感覚の方が変わるんです。味覚っていうのは温度によって感じ方が変わるんですけど、一番変わるのは甘味です。」

「確かに」などと言いながら、盃に口を近づける。一口、そしてもう一口。
酒が進み、達也さんがますます饒舌になる。

「お酒の味なんて相対的なもんでしょ。1杯飲んで、2杯目、3杯目、みんな同じ味だと思って飲んでても、それは脳が修正してるんです。何も口に入っていない状態で飲んだ1杯目と、1杯飲んだ後の2杯目とでは同じ味のはずがないんです。

例えば飲み会に遅れて走って来て口が乾いてる人と、待ちながら水を飲んでいた人とでは、同じ酒でも感じている味は違うし、気のおけない人と楽しく飲むのと、いけすかない上司に説教されながら飲むのとでも、全然味が違うはずですよ。料理によっても酒の味は変わる。人間の味覚なんてその程度のもの、となると酒自体の成分や表面的な味ってどこまで意味があるの?っていう話です。

石川達也さん 写真
写真)「お酒というものが『おいしい』という快楽を与えるためだけのものだったとしたら、人類がこんなに酒にこだわってないでしょう」と達也さん。

お酒の瓶の中に“成分”はあるけど“味”はない。味はきまっていないんです。ではお酒のいろんな皮を剥いていった時に最後に残るのは何なのか?というと、甘みでも旨みでもなく「緩衝力」だと思っていて、生酛と速醸の違いも表面的な味の部分ではなく、緩衝力です。

それはどんな料理も受けとめて、引き立ててくれる力。それは、アルコールの刺激も抑える。酒は味としてどう感じるかより、体がどう感じるかということが大事。つまり、その酒を飲んだら何か食べたくなるか。それを飲んだら人と話したくなるか。『飲めばわかるさ』ってことです(笑)」

石川達也さん 写真

酒について語り始めるともう止まらない。それが酒ゴジラといわれる所以でもある。そんな達也さんだが、意外にも大学時代の途中までは酒の世界にはたいして興味なかったという。そういえば、達也さんの原点はどこにあるのだろう。

「大学時代に酒好きの友達に感化されて、日本酒にハマったんです。その時もまだ造ることには全く興味がなかった。ただ日本中の酒をマニアックに飲みあさってたんです。新しいお酒の封を開ける時のつまみは、近所の豆腐屋で買った冷奴。『他のものを食べたら舌が汚れる』とか生意気なことを言ってね(笑)。飲む時も居住まいを正して、味と香りを確かめて、儀式みたいなことをやってた。今、思い出すとほんと恥ずかしい話ですけどね。

ある時、いつも入り浸ってた酒屋さんが熱心に神亀(酒造)の酒を勧めてくれたんです。飲んでみると、香りがすごい立つわけでも、味にインパクトあるわけでもない。『筋は悪くないけどな』なんて思いながら飲んでた。そしてふと気がついたら心と体がリラックスしていたんです。

『あ、いかんいかん』と思って居住まいを正して、飲み始める。しばらくすると、まただらっとしてしまう。そこで、あれっ?と思ったんです。もしかして、この酒がそうさせてんのかな?って。そう気づいた瞬間、ちょっとゾゾゾっときて。これまで飲んできた酒と全然違うアプローチをしてきた。これはとんでもないものと巡り合ってしまったと思ったんです。

石川達也さん 対談写真

その時の酒の凄さは舌や鼻じゃわからなかった。心と体が反応したんです。それから酒の飲み方が変わりました。東京には日本中のおいしい酒が集まっていましたから、そういう酒もいっぱい飲みましたけど、神亀の酒は次元が違ったんです。飲めば飲むほど『凄いや』って。それ以来、神亀の酒しか飲まなくなりました」

石川達也さん 写真

その後、達也さんは大学4年生の時に神亀酒造に押しかけ1か月ほど蔵人を体験。卒論のテーマを「酒」に決めて、翌年1年かけてびっちり蔵人として働きながら卒論を仕上げた。卒業式も蔵から行き、親より先に「おやっつぁん」に卒業証書を見せた。当時としては珍しい、大卒の蔵人の誕生だった。

「その頃は大卒っていうのがハンディだと思ってました。みんな僕よりずっと年上なのに敬語を使ったりするからそれはやめてくださいって頼んだりして。だってお客さん扱いのままだったら、一冬で終わりだなと思った。とにかく仲間として認めてもらおうと必死でしたよ」

そうやって、今も師匠と崇める”おやっつぁん”から酒造りとは何かを学んだ。そして今、達也さんも杜氏として人を育て、伝統的酒造りのバトンを次世代へ繋ごうとしている。

「今の杜氏さんたちは圧倒的に経験が少ない。酒を仕込むのに制御せず発酵しきらせたらどうなるかって知る人はほとんどいないんです。だからやってることに対して「なんでそうするの?」って聞いたら「そう教えられたから」って言う。自分の中に答えがないんです。それって自分で造っているって言えるの?って思うんですよね」

石川達也さん 対談写真

ただ蓄積したデータについ頼ってしまう、その気持ちはよくわかる。経営者の立場としても、なるべく痛い目には合いたくない。

「もちろん、制御するのが全部悪とは思わないけど、自分でやってみて試行錯誤するって大事なんです。失敗しても経営者が『なんでそんなことやったんだ』って言っちゃだめ。石井さんはそういうタイプじゃないと思ってますけどね」と、達也さん。こちらは苦笑いするしかない。

石川達也さん 対談写真

もちろん、“自分体験”の大切さは私も前職で番組作りの職人をしていたので骨身に染みている。挑戦したいといえば、失敗も覚悟の上で応援したい。経営者としてのジレンマはあるけれど、実際、中須賀杜氏に生酛をけしかけたのも、そんな想いがあったからだ。

達也さんの話をじっと聞いていた中須賀杜氏も本音を語り始めた。

「本当にわからないことだらけなんですけど、誰もやったことがないので先輩にも聞けないし、いつ失敗するかもわからない。そういう中ですごい不安そうにしているところや失敗するところを本当は後輩に見せたくない。正直一人でやりたいと思うこともあるんですけど、やっぱりそういうところも見せた方がチームのためになるというか、そうじゃないとついてきてくれないだろうと思ったり…」

杜氏として象徴でありたい。けれど弱みもちゃんと見せないと人はついてこない。杜氏として感じているジレンマが痛いほど伝わってくる。

石川達也さん 写真

「杜氏ってさらけ出すもんだからね」と、達也さんも助け舟を出す。
「僕だって今日、偉そうに色々言ったけど、若い頃は失敗してるんですよ。自分が若い頃は一日十数時間とか働いて、突っ走ってきたもんだから、杜氏になった時に、若い者も皆そうするんだろうと思っていたら、誰もついてこなくてね」

中須賀杜氏が前のめりになって聞いている。

「でもね、そこで『ついてこなかった奴が悪い』って言ってたんじゃ、いつまで経っても同じわけで、ついてこなかったってことは、人を生かすことができなかった、生かせなかったということだから。酒は一人じゃ造れないからね。一人じゃできないってところが、結局、酒造りのいいところでもあるんだけどね」と達也さん。全くその通りだ。

「今日、杜氏はチームの中で『絶対』であり、また『生かす』存在だ、という話をしたけど、もう一つ加えるとしたら、『覚悟ができるか』というのも杜氏の条件。『自分を殺す』っていうことにも繋がるんだけど、自分の評価は捨てる、という覚悟ができるかということ。

さらに言えば、杜氏は蔵にも評価されない、という覚悟も必要なんです。経営者といい関係でありたいと思いながらも、いいことばかりは言ってられない。目指す酒造りが経営者にとってあんまり面白くないことであれば、杜氏はその責任を負わないといけないし、時には厳しいことを経営者にも言わなければならない」

杜氏の中須賀と経営者の私を前にして、達也さんは絶好調だ。

美酒鍋

「だって金賞を取れる酒じゃなくても、酒の造り方を蔵にきちんと根付かせて次の代へ繋いでいく酒造りができたなら、その方が長期的に強い蔵になれるんですよ。今の蔵元に評価されないかもしれないけど、2、3代後の蔵元には評価されるかもしれない。伝統的酒造りを担うのであれば、そういう覚悟も必要だということです」

この言葉に中須賀杜氏は考え込んだ。すぐに答えが出ることでもない。でも考え続ける。すべての杜氏や醸造社員と一緒に。いろんな壁にぶつかることもあるだろう。その度に、私も一緒に考えていこうと思う。

さあ、美酒鍋がでてきた。そろそろ締めの時間だ。

石川達也さん 写真
写真)賀茂鶴の役員だった達也さんの父上が、蔵でも食べられた鍋料理を世に広まる料理へ育てようとレシピを整えた。名前も蔵人を表す言葉を冠した「びしょ鍋」から「美酒鍋」へ。いまや東広島を代表する名物料理の一つだ。

鍋に舌鼓を打って、酒を交わす。話は尽きないがそろそろお開きの時間。
1日たっぷり、達也節を聞かせていただいた。酒があったからこそ、聞けた話もたくさんあった。
いい時間でした。達也さん、本当にありがとう。

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