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Story 06
石川達也 さん【前編】
日本酒造杜氏組合連合会会長 / 広島杜氏組合長
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酒ゴジラ、賀茂鶴に現る
いつもは私がモノづくりの現場を訪れるのだが、この日はゲストに来ていただくことになっていた。約束の15時。小雨の降るなか、八号蔵で待っていると、彼が現れた。
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「♪ ダダダン、ダダダン…♪」
頭の中であのテーマ曲が鳴り響く。ズンズンと歩いてくる彼は、“酒ゴジラ”という異名を持つ
石川達也氏だ。
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2020年には杜氏として初めて文化庁長官表彰を受章。つい先日は黄綬褒章も受章した。
すごい人なのだが、実はそんな彼とは古くから家族ぐるみの付き合いだ。
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現在は、茨城県にある月の井酒造店の杜氏を務めながら、仕込みの時期以外は広島で過ごし、広島杜氏組合長と同時に2022年から日本酒造杜氏組合連合会会長を務める達也さんは、いにしえより日本に息づく酒造りの歴史を誰よりも熱心に研究し、江戸時代を起源とする生酛造りを現代に蘇らせた第一人者だ。
生酛造りといっても種類があって、一般的には乳酸をくわえず乳酸菌の力を借りていれば、酵母は人工的に添加したものであっても生酛造りとされるが、達也さんの生酛造りは、乳酸菌も、酵母も無添加。屋内の柱や天井や空気中に棲みついている、いわゆる蔵付き酵母の力でアルコール発酵させる、生粋の生酛造りだ。
2024年12月に「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録されたが※1、最近、生酛造りや木桶造りなどにチャレンジする蔵も増えている。そんな中、考え続けているのが「伝統とは何か」「どうすれば伝統は継承されるのか」「機械の活用が増えていくと将来に伝統はまったく残らないのか」という課題である。
その辺り、「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会」の副会長としてユネスコ登録の動きにあわせて活動を続けてきた達也さんはどう捉えているのだろう。
当蔵で木桶の製作や生酛造りにチャレンジしている中須賀杜氏も同席して、伝統について、そして酒にまつわるあれこれを根掘り葉掘り聞いてみた。
※1 ユネスコの無形文化遺産に登録された「伝統的酒造り」…
杜氏(とうじ)・蔵人(くらびと)等が、こうじ菌を用い、日本各地の気候風土に合わせて、経験に基づき築き上げてきた、伝統的な酒造り技術(日本酒、焼酎、泡盛等を造る)が無形文化遺産に登録された。
大事なのはノウハウより「何を感じるか」
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石井 「伝統的酒造り」がついにユネスコの無形文化遺産に登録されました。2013年に和食が登録されたときの状況を考えれば、もちろん輸出やインバウンドへの好影響が一番ですが、国内需要が年々減少する中で、何らかの追い風にはなるだろうし、そうなるようにしなければならないと思っているのですが。
石川 そうですね。私も「伝統的酒造り」に光が当たるっていうこと自体は悪いことじゃないと思います。けど、形だけ、上辺だけ真似して「これが伝統だ」というような風潮になってくると、本末転倒かなと思っているんですよね。
石井 というと?
石川
自分のところへも、生酛造りを教えてほしいと色々聞きに来る人が多いんですけど、表面的なノウハウを知りたがる人が多いんです。でも伝統って、そういう表面的なハウツーの話じゃないんですよ。
例えば蓋麹※2で仕込んだときの経過って1枚たりとも同じものはないし、暖気入れ(だきいれ)※3の温度にしても蔵の環境や仕込む時期で全然違う。日本全国どこの蔵でも通用するような「このタイミングで」とか「この温度がいい」というものはないんです。
もちろん、ポイントとなる数字っていうのはあるし、それでマニュアル的なものを作ってその通りに生酛を造れば、ある程度の酒にはなるかもしれない。けど、それは伝統を受け継いだことにならないでしょ、という話です。
※2 蓋麹… 麹づくり(蒸したお米に麹菌を繁殖させていく作業)において、麹菌が繁殖してきた米麹を小分けにするときに使用する長さ50㎝、巾30㎝、深さ6㎝程度の木製の道具を麹蓋といい、麹蓋で造った麹を「蓋麹」という。
※3 暖気入れ(だきいれ)… お湯を入れた容器である「暖気樽(だきだる)」を酒母に入れることで、酒母の温度を上げる作業。
石井 本質を知らずにマニュアル通りにやっても、伝統を継承するってことにはならない、ということですね。
石川 酒を造るときに大事なのは「何を感じるか」です。けどマニュアルって、そこ抜きじゃないですか。だから「伝統」っていうのはマニュアル的酒造りの対極にあるものだと思ってるんです。
昔と今の酒造りの決定的な違いとは
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石川
そもそも今の酒造りって、昔ながらの酒造りとは全く発想が違うんです。
例えば今の酒造りって「こういう成分の 仕上がりにしたい」ってなったら、そこへ着地させるために、逆算式でそこへ向けて温度を落として発酵を落ち着かせていくわけです。 そして「これぐらいの落とし加減だったらこうなる」っていう合わせ方が上手なことが、腕がいいって言われたりする。
でも、 冷やせるようになったのって、たかが何十年前のことですよ。空調設備がなかった時代は、大きさを小さくすることで、量に対する表面積の割合を大きくして、熱や水分の発散を促していた。例えば麹づくりも今は箱麹※4が主流ですが、箱だと一度に多くの量ができる代わりに湿度や温度を人為的にコントロールしなくちゃいけない。一方、昔ながらの蓋麹なら、温度がいくら上がってもムレ香は出ない。45度を超えたって全然平気ですよ。
石井 なるほど。でも経営者的視点からすると、まとまった量を仕込める方が効率的だし、それだと箱の方がいいってなりますよね。蓋だと数を増やさないといけないし、手入れも大変です。
石川 もちろん、昔の人も大きい方が楽だとわかっていたはずです。でもそうしなかったのは、理にかなっていたからです。 だけど空調設備が整った現代では、麹もそうだし、酒造りにおいても大量に仕込んだほうが効率的です。だから大量に仕込むのがいけないとか、 冷やすなって言ってるわけじゃなくて、それは今の酒造りではOKなんだけど、冷やさなかったらどうなるのかも知らないのに、数値だけなぞって生酛をやって、それを「伝統の継承」だというのは、ちょっと違うでしょ、ということです。
※4 箱麹… 麹蓋の代わりに麹箱という木製の箱を用いて造った麹のこと。麹箱には大小あるが、麹蓋よりは大きく木製の箱の底に木または竹のすのこを張るか、ステンレス製の網を張ったものに織り目の荒い布を敷いて、麹を盛り込む。
酵母を強くすれば綺麗な酒になる
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中須賀杜氏が担当する賀茂鶴の四号蔵では、室で麹を手造りする大吟醸も造るが、自動製麹機で造る酒も多くある。手造り蔵も長く経験してきたうえで、現代的な「道具」もうまく使いながら、受け継がれてきた伝統と経験に裏打ちされた酒造りを追い求めている。
子どもの頃からものづくりが好きだったという彼は、当蔵の木桶製作プロジェクトにも真っ先に立候補。2023年からは自ら作った木桶を使って、伝統的な蔵付き酵母での生酛造りにも挑戦している。
中須賀
僕は大吟醸もそうですが、レギュラー酒も雑味のないきれいな酒を造ることを目指してきて、これまでも高温糖化造り※5や、速醸(そくじょう)造り※6などでいろんな酒母をつくってきました。ですが、生酛が初めてちゃんとできた時に、それがこれまで見た中で一番綺麗ですごく驚いたんです。
「蔵付き酵母で生酛を造ると酵母が強くなって雑味の少ないきれいな酒を造れる」という話は石川杜氏からお聞きしていたのですが、これほど綺麗だとは本当に驚きました。
石川 乳酸発酵の後に酵母が増殖して発酵っていう、生酛造りの 順番さえちゃんと守れば、その時点で酵母が強くなるってことは、科学的にもちゃんと証明されていて、その他、暖気入れも細胞膜を厚くする働きがあるらしいんですね。要するに生酛で、暖気入れもちゃんとして、昔の通りの順番で造れば酵母は強くなって、結果、綺麗な酒になるということは保証されているんです。
石井 酵母が強ければきちっと発酵し切らせることができて、結果、綺麗な酒になるわけですね。達也さんが目指す「綺麗なお酒」ってどういうお酒なんですか?
石川 きちっと発酵し切った酒は、嫌な雑味が舌に残らない。でもしっかり旨味はある。そういう酒です。その旨みって、お米由来の麹が分解した時に出るアミノ酸なんですけど、それが酵母が死んだ時に出てくるアミノ酸だと嫌な雑味になるんです。
中須賀 確かに、酵母が死滅した時に出るアミノ酸って0.1、0.2上がってくるだけで、嫌な甘ったるさというか、匂いもそういう匂いがしますよね。
石川 だから生酛造りって、つまりは昔の人が酵母が死なないように強くして、きちんと発酵し切らせることを目指した結果生まれた技術であり、そして今も通用する技術なんですね。
※5 高温糖化酛… 乳酸を添加する速醸系酒母の製法の一種で、麹の酵素がよりよく働く高めの温度で蒸米を短時間に溶かして糖化し、その後冷却時に乳酸を添加した後に酵母を投入し培養する。この酒母は約一週間で製造される。
※6 速醸(そくじょう) 酛… 乳酸を添加する主流となる酒母の製法。酒母用タンクに水、麹、醸造用乳酸、酵母を投入し、続いて蒸米を投入する。酵母の増殖を図るため、酒母内を混ぜ合わせたり、状況に応じて加温、冷却を行う。この酒母は約二週間で製造される。
技術の完成形こそが継承されるべき「伝統」
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石井 なるほど。それでいうと、生酛以前の酒造りについてはどうですか?
石川 菩提酛(ぼだいもと)※7 ってありますけど、どちらかというと今の速醸に近くて、生酛ほど酵母が強くならないんです。伝統っていうのをとにかく古いものがいいってどんどん遡ろうとする風潮もあるんですけど、それは 試みとしては面白いにせよ、伝統を探ることにはならないだろうって思う。 やっぱり進歩進化して、その技術が完成した時に初めて伝統っていえると思う。
石井 淘汰され、研ぎ澄まされた最終形こそが「伝統」であり、それが生酛だと達也さんは考えているのですか?
石川 異論はあるかもしれないけど、自分の考えはそうです。歴史を俯瞰した時に、おそらく江戸時代の中期の終わり頃、生酛の完成をもって日本の伝統的な酒造りは完成したと言っていいだろうと思っています。 そもそも、今のように冬に酒を造るようになったのもその頃からで、それまでは立秋から旧暦9月を「新酒」、その後が間の酒と書いて「間酒」(あいしゅ)、さらにその後を「寒酒」(かんざけ)といって、1年中酒を造っていたようです。中でも発酵が一番安定する新酒の時期に最も酒を造っていたようですが、江戸時代の経済は米本位制だったので、お米の収穫時期と酒造期が重なると酒屋の景気に経済を左右されてしまって良くないと、幕府はたびたび秋以前の新酒造りを禁じたんです。 そこで編み出されたのが、寒い冬でも乳酸菌と酵母の発酵を起こすことができる「生酛」という技術。生酛は冬の技術と言われるけど、寒くないとできないんじゃなくて、発酵が安定しにくい寒い冬でもできるという完成度の高い技術。生酛のおかげで冬の寒さを克服し寒造りへ移行したら、冬って水も空気も綺麗だし、実は酒造りに向いてることにみんなが気がついて、集中的に冬に造るようになったんです。 そして何が起きたかというと、農閑期や漁業ができない冬に、集団を作って酒を造りに行くという杜氏集団が発生した。私は今の杜氏制度が始まったのもおそらく生酛の誕生がきっかけだと考えています。
石井 そういう意味でも、生酛の存在っていうのが、日本の酒造りにおいてものすごい大発見、大発明だったというわけですね。
石川 学べば学ぶほど、生酛造りは理にかなった素晴らしい技術だとわかります。古いからいいのではなく、いいものだから今日まで継承されてきたんです。
※7 菩提酛(ぼだいもと)… 室町時代の書物に記載されている酒母の製法。不要な微生物の増殖を抑えるため、自然界の乳酸菌の働きにより酸性にした「そやし水」と呼ばれる仕込み水を使用する。乳酸菌を育成する手法という点では生酛系酒母の原型とされる。(参考文献:日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(SSI)発行「新訂日本酒の基」)
後編へ続く...(3月1日公開予定)
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石川 達也 杜氏
- 1964年広島県西条生まれ。広島杜氏組合長。日本酒造杜氏組合連合会会長。
- 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会副会長。大学在学中より埼玉県の神亀酒造にて修業をはじめる。
- 1994年に広島県の竹鶴酒造に入り、1996酒造年度から2019酒造年度まで杜氏をつとめる。
- 伝統的な技法(特に、酵母無添加の生酛や蓋麹法)の造り手として知られ、杜氏としては初の文化庁長官表彰(2020年度)を受ける。
- 2020年冬より月の井酒造店の杜氏となる。
- ※賀茂鶴酒造 八号蔵で話しを伺いました。